グローバル化の流れの中で私が学んできたこと

 <グローバル化の流れの中で私が学んできたこと>

日本軸受工業会機関紙「ベアリング(2021 年 3 月号)」~随筆原稿~

NTN 株式会社 執行役CFO 十河 哲也

29 歳の頃、私はアメリカのシカゴ近郊でチーフエンジニアとして自動車用 HUB ベアリングを 生産する新工場の立ち上げメンバーの一人として参画し、1989 年から 96 年の 7 年半、初めての 海外勤務を経験しました。日本から当時の最新鋭の生産設備と技術を導入しましたが、生産性は 日本のマザー工場よりかなり低いという状況に苦しみながら、初めての海外勤務で、従業員のス キルが低い、欠勤率、退職率が高い等の問題に直面しました。一体何が本質的なマネジメントの 問題であり、何を変えねばならないのだろう、ということで、変革に向けた色々な試行錯誤を繰 り返しましたが、結局は、『いかに現地の人材のやる気を最大限に引き出すとともに人材を正当に 評価、処遇できるか』、すなわち、『人の行動は自分がどのような基準で評価されるかによって大 きく変わる』ということを学びました。そのポイントは、言ってみれば当たり前のことでしょう が、新たな考課制度で、スキルとパフォーマンスを誰もが納得できる形で客観的、公正に評価し、 それを給与に明確に連動させる新しい給与体系でモチベーションを向上させるということです。 それで工場全体が活性化して、赤字が続いていた会社が 1 年後には急に黒字になるという自分で も驚くような結果になりました。この経験が、単なる技術指導よりも、いかに従業員の学習意欲 を高め、やる気を出させることが重要か、個人としてだけでなく、チームとして達成感をともに 味わうという経験をした人がいかに大きく伸びるか、当時、MIT のピーターセンゲという教授が 提唱していたラーニングオーガニゼーション(学習組織)の重要性を強烈に認識した私の原点であ ります。

この新給与体系導入に当たり、なぜ評価システムを変えるのか、何を目指すのか、企業理念や ビジョンとの整合性とともに会社としての考え方、ポリシーを全従業員との直接対話で説明しま した。1 部、2 部、3 部の勤務体制の下、朝、昼、夜中もグループに分けて全従業員と徹底的に話 をして、全ての質問、疑問に答えました。まだまだ若くて体力があったからできたことですが、 この徹底的な対話がその後の成果に結びつくキーだったと思います。英語は下手でも、何が言いたいか、言いたいことがパッションと共に全身から伝わる、流暢な英語よりも人の心を動かす英 語が必要、オープンな心と変革への情熱なくして、どんなに英語が上手でも全く意味がない、と いうことを学びました。そういう直接的な対話から『なるほど』と感じさせられたこともたくさ んありました。例えば、人事考課における同一グレードでの最低滞留期間を、2 年とか、3 年と か、経験的に設定していましたが、これは日本では当然の考え方でした。しかし、ある組立の女 性オペレーターから、それは天才の可能性を殺している、『ひとりひとりの人間性の尊重、個の尊 重』という企業理念に反しているではないか、と批判されました。実際にそんな天才はまず出てこ ないでしょうが、こういう考え方が大事なんだな、と納得して、その場で、最低滞留期間の概念 は不要としてシステムから取り除きました。また、四半期ごとにグレードが上がった従業員の名 前をランチルームに貼り出して祝福するということにしていましたが、ベトナムから来た従業員 のグループに『やめてほしい』と言われました。『恥ずかしい、皆から遅れての低いグレードでの 昇格は恥』と感じる人もいる、皆一緒でいたいという日本的な文化もあるのです。グローバルに 必要なのは機会の平等であり結果の平等ではない、また『皆から遅れていようが頑張った人は皆 で祝福すべき』というのがアメリカで教育を受けた人の考え方ですが、そういうマジョリティー の考えを押し付けて、敢えて一部の従業員に嫌な思いをさせてまで祝福する必要もないので、こ のようなやり方は止めました。人の感情は難しい、特に工場の従業員はアメリカ人といっても色々、 アメリカで生まれてアメリカで教育を受けた人だけでありません。メキシコから来た人、中国、 インド、ロシア、エチオピア、ベトナム等、それこそ世界中の人が一緒に働いていました。した がって、基本的に、日本のように『あうんの呼吸』は通じません。日本では小学校のころから、 先生に『相手の立場に立って考えなさい、自分が相手の立場であったらどう思うかを考えなさい』 とよく言われましたが、そもそも生まれ育った環境や考え方が違う場合、この方法は有効ではな いでしょう。自分がこう思うから、相手も同じように感じるだろうという考えはむしろ危険です。 年齢差別の問題等は、特に日本人にとっては注意が必要でした。

当時は、米国の製造現場で色々な試行錯誤をやりながらも、同時にアメリカ流のマネジメント を学びたくて、1994 年から 96 年の 2 年間、仕事をしながら週末にノースウエスタン大学で MBA の勉強をしました。 技術者の私にとって、特に戦略論、ファイナンスやマーケティング等、非 常に新鮮で『目から鱗』という経験でした。入学面接は一流ホテルのような Executive MBA 専 用の校舎でインタビューを受けました。エレベーターに乗り、アシスタントディーンと書かれた オフィスに通され、そこでエリカさんという女性に迎えられました。最初は秘書の方かなと思い ましたが、この人がアシスタントディーンでした。試験官が何人かいて、その前に私が座らされ て難しい質問をされることを勝手に想像していましたが、豪華な応接室で『コーヒーにしますか、 紅茶にしますか』、『私はこれから 1 時間、あなたの話を聞きます』と言われて、その場で1対1 の面接が始まりました。予想していた面接と全く違った、こんな面接試験、受けたことありませ んでしたが、考えてみれば、いきなり一定の時間を与えられ、何をどのように話すかも含めて全 く自由に話をさせることで、その人物の色々な面が見えるのだろうと思います。エリカさんは時々、 それはどういう意味ですか等の確認をするだけで、基本的に何の質問もせず、ひたすら私の話す ことをメモしていました。自分の言いたいこと、自分の思いや熱意を 1 時間なら 1 時間、90 秒な ら 90 秒で、伝えるべき相手に確実に伝えるということは、特にグローバルに仕事をする上で極 めて重要なことなのだと思います。自分の仕事について、一切の専門用語を使わずに、誰にでも わかるように 90 秒、あるいは 1 時間で話すのは非常に難しいですが、複雑なことをわかりやす く説明できるのがプロであり、それができないのは自分の仕事がわかっていないということでし ょう。最後に、エリカさんは『正式には教授会で書類審査とともに合否が決まりますが、あなた は多分合格でしょう』と言ってくれました。このエリカさん、私より少し年上の、颯爽とした長 身の女性でした。そういうことで、この Executive MBA 入学の直前に生まれた長女の名前をエ リカにしました。その長女も今では社会人なので随分昔の話ですが、今でもこの面接は強烈に印象に残っています。

このノースウエスタンを卒業して 1996 年に日本に帰ってからは 2011 年の 2 度目の渡米までの 15 年間、本社の経営企画部で中期経営計画の策定とともに、特にグローバルアライアンス、クロ スボーダーM&A 等に集中的に取り組み、相手側とのあらゆる知恵比べ、駆け引き、本音の探り 合い等、物事を裏から、斜めから見ながらの交渉を経験してきましたが、やはり最後は交渉相手 との信頼関係を築けるかどうか、これなくしてアライアンスは成功しない、ということを痛感し ました。中期経営計画においても大事なのは競争戦略や理論体系だけでなく、いかに各部門、各 地域に納得性を持って動いてもらえるか、結果を出すためには、いわゆるファシリテーションが 重要であるということを学びました。どんどん時代は変化し進歩してゆくでしょうが、私は社内、 社外を問わず、人と人との直接的な face to face のコミュニケーション、意思疎通が極めて重要 だと感じています。

2011 年から 2018 年までの 7 年間、2 度目の米国赴任においても、米州地区総支配人として、 特に経営という正解の誰にもわからない判断を、南米も含めた米州地区全体において、異文化の 中で日々行わねばならない状況の私にとって、言葉には表しにくい組織の状況、雰囲気を、色々 な交流の中から感じ取る能力が非常に重要であると感じていました。現地にて日々直面する課題 は全て、コンピュータのように論理的に分析して正解を導き出せるようなことではなく、その場 その場で総合的により良い判断を迅速にしてゆく必要があり、そのためには本質を的確に感じと る能力、センスを磨かねばならず、face to face のコミュニケーションが必要不可欠でした。MBA の授業では、戦略論、マーケティング、ファイナンスというような科目は人気が高く、名物教授 も多かったので気合を入れて学びましたが、一方、組織論、HR などは当時はあまり人気がなか ったです。しかし、組織論や HR、これらは歳を取るほどジワジワ重要性を増してくるような気 がします。若いころの米国赴任においては、ひとつの製造会社の現場で働く従業員のやる気をい かに引き出すか、そのための変革に色々挑戦しましたが、2 度目の米国赴任においては南米も含 めた米州地区全体の組織強化に向けて経営上層部のローカライゼーションが大きな課題であり、 各国のマーケットを一番知る人材に事業拡大を託してゆかねばなりませんでした。日本から出向 者は何のために海外に来ているのか、なぜローカルで対応できないのか、ということを明確にす る必要があります。日本人どうしのやり取りは非常に楽、居心地が良く、現地化は言葉の問題も 含めて非常に疲れますが、これをやらねば将来は無いとの認識でした。

グローバル化とは、『現地の優秀な人材をモチベートして存分に実力を発揮してもらうこと』が 基本という私の信念は最初の米国赴任時から全く変わっていません。人と人との部門を超えた密 接な情報交換をベースにクロスファンクションで効果的に機能できる、ブラインドスポットの発 生しない緻密な組織、トップダウンだけでなく、日本流のミドルアップダウンマネジメントによ るグローバルな学習組織を実現したいと考え、今も執行役 CFO としてのグループ全体の企業価 値最大化に向けた変革と試行錯誤を続けています。

https://www.slideshare.net/mobile/TETSUYASOGO/ss-242000922

https://tetsuyasogo.blogspot.com/2020/03/april-2020-present-cfo-of-ntn.html?m=1

1996年6月ノースウェスタン大学MBA学位授与式

2015年3月 早稲田大学経営システム工学科の学位授与式での祝辞 

”グローバル化の中で社会に出る皆さんに向けて”


2016年-2017年 京大非常勤講師

“グローバル化の中での日本のモノづくり文化の海外展開に関する考察”


2011年-2018年 米州地区各拠点での従業員との直接対話タウンホールミーティング


随筆のゲラ刷り最終版





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